激動の2024年。もう二度と料理教室はやらないと思っていた私が、魂の道を見つけ、新たに京都にお店を持つまでのストーリー。

もう二度と料理教室はやらない、と思っていたのに。

 

なぜ私は、こんな大きな場所で
料理教室をまたやろうとしているのだろうか?

しかも、これからのお客様は”世界”だ。
海外の人たちだ。

 

そして、実はこれから工事までする。
そう、カフェ飲食も提供する予定なのだ。

 

 

人生とは不思議なものだ。

 

このオンライン主流のご時世に
私はまた、固定の場所を持つことを決めた。

いや、「持つことになってしまった」という方が正しい。

 

誰にも信じてもらえないかもしれないが、

神様に背中を押されている
そんな不思議な年末。

 

 

そんな最近の私は

毎日怖くて、プレッシャーで、
でも最高に心がワクワクして

今もボロボロ泣きながら、このブログを書いている。

 

こんな私のありのままの数年間〜2024年を
ここからは綴ってみようと思う。

 

 

「こころキッチン」を世界へ展開したい!壮大な夢の始まり。

 

そんな途方もなさすぎる、訳のわからない夢が自分の中に降りてきたのは

2022年1月のことだった。

 

この時の私は、アブダビにいた。
とあるホテルのラウンジである方と電話で話していた時、

「世界に”こころキッチン”を広げてみたい」

そんな一言が、突如私の中から出てきたのだった。

 

 

この頃の私は、”海外起業家夫婦”として、家族ノマドライフを満喫していた。

オンラインで仕事や情報発信をしながら、当時1歳の長女を連れて、アラブ首長国連邦(UAE)内のホテルを渡り歩くというわりと類を見ないライフスタイルを送っていた。

 

(UAEのホテルを泊まり歩いた日本人ランキングベスト10くらいには入れる気がする。笑)

 

しかもこの時、世界はコロナ禍真っ最中。

それでも、そんなの関係ない!笑

今となってはよくやっていたなあ、と思うが、数えきれないほどのPCR検査や入国検査を受けながら、たったスーツケース4個で約1年間に渡って世界数カ国を家族で旅していたのだった。

 

 

なお、最近私のことを知ってくださった方のために
改めて書いておくと、「こころキッチン」とは、私が2014年に立ち上げた料理教室の名前だ。

当時は普通の独身OL、一人暮らしのお客様からスタートした小さな小さな料理教室。

 

 

“食”と”心”をテーマに立ち上げた講座は、あれよあれよという間に大きくなって、起業独立し、世界中でイベントしたり、メディア出演、様々な経験もさせてもらった。

こんなに人生で燃えた時間はない、というくらい、がむしゃらに毎日頑張った。
人生がどんどん変わっていった。

 

そこから2019年に一度料理教室はクローズ、

しばらくはゆっくり結婚・妊娠・出産ライフを送っていたのだが、
また私の中にふつふつと想いが湧き始めてきたのが冒頭に書いた2022年。

 

 

もう一度、「こころキッチン」で何かやってみたい。
今度は、世界に向けて。

 

なぜこんなにも、世界に執着するのか?

 

かっこよく言えば、

日本の食文化を世界へ継承したい
世界中の人を日本の食文化で健康にしたい

いろんな言い方ができるが

 

究極は、「ただワクワクする」それだけ。

私の心の中に、また火が灯り始めた。

 

 

とはいえ、すぐに動けたわけでは全くなかった

 

・・・とはいえ、漠然とした夢は出てきたが、

すぐに何をしよう、という具体的にアイディアに至るわけでは全くなかった。

 

海外各国の日本食レストランに行ってみたり
食品展示会に行ってみたり

時々、アンテナは貼ってはいたが

2022年〜2023年ごろの私は、まだまだ自由に世界中を旅もしていたかった。

 

 

まあ今が楽しいし、このままでいっか。
自由に旅もしていたいし、別に困らないしいっか。

一度灯った心の火も、どんどん小さくなっていった。

 

そしてそうこうしているうちに、第2子妊娠、2023年8月に出産。

私は2児の母となった。

 

 

シンガポールで夫に泣きながら電話した日

 

2023年10月、私は3年半ぶりに1人でシンガポールへ行こうと決めた。

 

この時、まだ産後2ヶ月半。

それでも私にとって、それでも行きたい!と思えるくらい、海外とは身近で、突き動かされる存在なのである。

 

なお長くなるので割愛するが、私にとってシンガポールは、
海外移住を決意したり、夫と初めて出会った、人生の転機となる思い出深い場所だ。

あまりにも好きすぎて、2019年は10回近く毎月シンガポールに通ったほどだ。笑

 

 

そんな思い出の地シンガポールで、私は泣きながら、夫に電話をしたのだった。

 

「私、もう一度本気で仕事がしたい。」

 

「安西先生・・・バスケがしたいです。」

この時の私は、まさにこの三井寿のような心境だった。

 

 

世界中を旅してみた。
ドバイをはじめとする、世界中の優雅な生活にも触れてみた。
大切な家族、夫や可愛い子供たちにも、出会うことができた。
オンラインで軽やかに、仕事できる環境も手に入れた。

 

きっと外から見たら
何不自由なく満たされた生活を送っているように
見えていたかもしれない。

 

それでも、私は求めていた。

私が求めていたもの、

 

それは、魂が打ち震えるような仕事だ。

 

お金よりも、何よりも、私は、もう一度自分の魂をとことん使い尽くしてみたかった。

当時取り組んでいたオンラインのビジネスにも、もちろん真剣に取り組んではいたけれど、でも心の奥底ではわかっていた。

 

私にそんな熱狂をくれるのは、やっぱり「こころキッチン」なのだ、ということに。

 

その想いを、私はシンガポールで再び思い出すことができた。

 

 

そしてまた、人生が動き出す。

 

2023年12月。

相変わらず具体的なアイディアは湧かないが、来年こそこころキッチンで何かやってみたい。そんな思いからひとまず

公式LINEでこんな呼びかけをしてみた。

 

とりあえず、何か商品を持って海外展示会へ出てみよう!

 

 

ちなみに、このとりあえずやってみよう精神はとても大事だ。
そして、何度もう言うが、私の海外へのハードルは異常に低い。笑

 

ちなみに、

何の目処が立たなくても、思いつきでも、とりあえず人に話してみる。

「こういうことやりたい人いませんか?」
「こういうこと知りませんか?」

と呼びかけてみる。

 

これは、私がよくとる方法なのだが、
ありがたいことに毎回結構な情報をいただけるのだ。

その中で、次なるヒントが見つかることが多々あるので、何かやりたいことがある方は、ぜひ試してみてほしいと思う。(なんといっても無料だ)

 

 

そして実際、この時の呼びかけにも5〜6件の返信をいただく。

 

その中で、「こころキッチンと言えば、お米と味噌汁じゃないですか?」といただいた意見をもとに

(ちなみに私の読者様は、料理教室時代からずっと発信を見てくださっている方が多く、本当にありがたい。)

ふと、酵素玄米とかどうかなあ?というアイディアを思いつく。

理由は、単純に私が酵素玄米が好きだからだ。笑
最初はなんでも、そんなものだ。

 

2024年1月

 

いよいよ始まった2024年。

元々料理教室時代の生徒でもあり、現在私の秘書もしてくれているHIROKOさんに久々に連絡をとり、日本中の酵素玄米商品を探してもらった。

(彼女のリサーチ能力は本当にすごいのだ)

 

数社からサンプルも取り寄せて、試食してみた。

その中で、絶対にこれだ!という会社さんと商品が見つかった。

 

 

小さな小さな一歩前進。
たった数百円だけど、目に見える商品があるのとないのとでは全く違う気がした。

ちなみに、日本の地方の魅力も、こころキッチンに取り入れてみたいという思いから、1月は佐賀・長崎・青森を旅してみた。

 

2024年2月

 

商品が見つかったのはとても嬉しいが、でもどうやってこれを広げたらいいんだろう?

そこから先が全く思いつかないので、とりあえずダイエット企画を始めることにした。笑

 

 

これは個人的に綺麗になりたい!という思い8割、私が頑張って痩せたら何かこころキッチンにも繋がるかもしれない?そんな下心も2割。

この月は、ジャカルタ・バリ島・クアラルンプール・マニラも旅してみた。
マニラで参加した海外展開セミナーでご一緒した方と、色々情報交換もさせてもらった。

 

 

2024年3月

 

この月は、韓国へビジネス合宿へ行くという仕事があった。

が、その前に大きな人生の課題に直面した。
こんなに人生で辛かったことは初めてかもしれない。。。

そこから体調を崩して1週間本気で動けなくなったりもして、仕事以外の面で色々と向き合った1ヶ月だった。

 

 

2024年4月

 

夫と話し合った結果、私たちは徒歩1分の別居婚&別居子育てを始めることにした。

具体的には、私が一人暮らしの部屋を借り、私は毎晩そこで寝泊まりする。ただ、朝晩は皆で一緒に元の家でご飯を食べたりする、という形だ。

 

これまでにも様々な場所でお伝えしてきたが、私は一連の子育て対応が全く得意ではない。

子供たちのことは心から愛している。

でも、子供たちと一緒にいすぎると完全にキャパオーバーになり、どうしようもなくイライラが募り、全身がしんどくなってしまうのだ・・・涙

そのしんどさを夫に数えきれないほど感情的にぶつけてしまっていた。

対してうちの夫は、ナチュラルに2人(3歳・1歳)子育てを楽しむ本当にすごい人。
その事実と状況をとことん受け入れることに決めた。

 

 

そして・・・

“家族は皆で同じ家に住むもの”
“ママは子供たちと一緒にいるもの”

 

私たちは、そんな世間の常識と「毎月ワンルーム分の家賃」と引き換えに、家族の適切な距離と心の平穏を手に入れた。

この決断に至るまでには、本当に何度も話し合いやぶつかり合いがあったが、今では2024年の中で最高の決断だと思っている。

 

私の一人暮らしの部屋(アトリエと呼んでいる)は、私の心のオアシスだ。

 

アトリエがあるから、私は私でいられる。
子供たちにも笑顔で向き合うことができる。
夫にも心から感謝できる。

 

だから今は、我が家ではママは毎朝外から帰ってくるので、いつも娘が「おはようー!」と玄関まで迎えにきてくれる(それがまた可愛い。)

どうしても仕事が忙しい時は、アトリエにこもって仕事したり休ませてもらう日もある。
また一人で好きなだけ、外泊もさせてもらっている。

それが自由すぎる子育てスタイルが、我が家のスタンダードになった。

 

長くなったが、私にとって、本気で仕事に向き合える環境がここで手に入った。

 

 

2024年5月

 

なおこの春頃には、インバウンドの流れが完全に復活の兆しを見せていた。

私が今いる京都でも、目に見えて街には海外の方々が行き交うように。

そんな京都で過ごす中で、「ヴィーガン」「ハラル」を取り入れたい飲食店コンサルティングはどうか?そんなビジネスアイディアを思いつく。

(イスラムの国、マレーシアやドバイに住んでいたので、この辺りは私にとって馴染みがある)

 

商工会議所に行ってみたり、初めて補助金についても情報収集してみた。ハラルに詳しい知り合いの方にも色々話を聞いてみた。

が、情報収集の結果、飲食店相手のビジネスはなかなかお金も得にくかったりすることや、自分の心がときめくか?といった判断軸からこのアイディアはお蔵入りとなる。

 

 

そして並行して、もう1つアイディア。

それがあんこで作るお花、あんフラワー

 

以前からこのアイディアはずっと頭の片隅にあった。インスタ映えのこの可愛さ、海外の人にも絶対受けるのではないか?という想いがあった。

そしてある一人のチームメンバーと話している時に、「このあんフラワー作り、実は主婦の人でも習えるんですよ!」と教えてもらう。どうやらそんなあんフラワー専門の協会まであるらしい。

その事実を知った私は、翌週にネットで見つけた京都市内に住む協会インストラクターの方に、あんフラワー作りを習いにいく。

 

思い立ったらすぐ行動。

初心者の私でも、たった数時間で意外と簡単にフラワーBOXまで作れてしまった。

 

 

これは面白い!!!
一度海外の方にレッスンしてみようかな!?

今度はそう思い立ち、知り合い伝手に日本に訪問中の外国人グループの方へレッスンをさせてもらえる機会を調整する。

それに合わせて、1月に見つけた酵素玄米の物販もしようと思い、即、メーカーさんへ発注する。

またせっかくなら抹茶も提供したい!そう思い、義母の紹介でお茶の先生も紹介してもらい、茶道のお手前も習いに行く。

必要な器具や材料も全部調べ、ネットや製菓材料店で買いに回った。

 

 

(なお、今も半月に2回、お茶のお稽古に通っている。今年出会えて本当によかったこと、それが茶道。)

 

あんフラワーを初めて習ってからたった3週間で、海外の方向けレッスンを実現!
こういう実現力だけは、私の強みかもしれない。

 

 

そして久々のレッスンは・・・最高に楽しかった。

料理教室をしていた頃の感覚が一気に戻ってくる。

 

久々の赤エプロン。
こころキッチン、再度復活。

そしてこの時痛烈に感じたのだ。

 

結局、私ができることは「料理教室」なのだ!!!と。

 

この数年間、ずっと新しいことをしたい、と外側ばかりを見続けていた。
料理教室は完全卒業、もう二度としないと思っていた。

でも結局・・・全ての答えが足下にあった。

 

私ができること、ずっとやり続けてきたこと。
人生で一番、情熱をかけ続けてきたこと。

それが、「料理教室」

 

人生とは不思議なものだ。

5年の時を経て、また私は、「料理教室」という世界線へ戻ってきた。

 

 

2024年6月

 

ハワイへ行く機会があり、現地在住の日本人の方々に色々話を聞く機会をいただけた。
これが本当によかった。

 

信頼してイベントコーディネートをお任せできそうな方や、
現地で10年以上、オーガニック関連の飲食店を経営されていた方との繋がり。
ハワイやLAでビジネス展開するための手がかり。
スーパーの卸情報、輸出情報。
日本食のハワイでの人気ぶり。

 

こころキッチンをグローバル展開するために何をしたらいいのか?

どんどんリアルな情報が入ってくる。

 

 

またこんなダイエット企画も行ってみた!

モニターの皆さんのお声・ご感想が本当に素晴らしくて、来年はぜひ定期的にお届けしてたいと思っている。

 

2024年7月

 

6月にご縁を頂いたハワイの方と連携して、ハワイのローカルの方々にダイエットプログラムをモニター提供。

なんと商品を送るだけで送料10万円!!近くかかってしまったという今でこそ言える笑い話も。

でも、海外に物さえ届けられば世界どこでもオンラインサービスが提供できるのでは?という感覚や、輸出に関する基礎知識も得ることができた。

 

何事も、やってみてこそわかることがあるものだ。

 

 

2024年8月

 

親日国といえば台湾!ということで台湾で塩麹作りイベントと商品販売をさせてもらう。

台湾の人は、どういう商品を好むのか?リサーチしたり、今後の台湾展開をお手伝いいただけそうな方と知り合うことができた。

 

 

なお海外でのイベント開催とご縁作りは、私の得意中の得意な分野である。
1ヶ月〜数週間ですぐに調整して、実現まで持っていくことができる。

この理由は、前述したように、私の海外へのハードルが異常に低いことがまず大きい。笑

あとは慣れの問題。
東京でイベントするのと、台湾でイベントするのは、そんなに変わらないと思っている。

 

なおこの8月頃から、料理教室ができる場所を持とうかな?そんな考えがぼんやりと生まれ始める。
とりあえず不動産屋に問い合わせ、京都市内の中心地、四条でいくつか物件を見てみた。

が、まだピンとくる物件はこの時はなく。

 

2024年9月

 

台湾に続き、今度は香港で海外商談をさせてもらう。
これも3週間ほどで急遽実現することになった。

現地在住の食品系コンサルタントさんに調整をしていただき、香港島の端から端まで1日で駆け巡る。
現地のイオンやドンキに食材を卸している卸会社さんを5社ほど訪問させてもらう。

 

 

すぐに何かに結びつくことはなかったが、これもまた経験だ。
海外における商品販売とはどういうことなのか、リアルなデータがどんどん入ってくる。

 

そして京都では・・・たった1ヶ月で運命の物件を見つけてしまった。

今私が住んでいる京都市内北部のエリアで何気なく不動産情報を見ていたら、直感でビビビと出会ってしまったのだ。

家の近所ということもあり、何度も前を通っていたので雰囲気もよくわかっている。

料理教室にするならここしかない!!
せっかくならカフェにもできないかな?

 

私の中で「決まり」!!!!の強烈な感覚。

こんな感じで、いつだって私は直感で全てを決めている。
その心の感覚だけは、いつも信じるようにしている。

 

 

2024年10月

 

9月に出会った起業家の方から得た、海外進出したい起業家向けの情報。
とりあえず事業計画書っぽいものを香港にいる間に必死で作成、提出。

その結果・・・

なんと、JETROの海外派遣プログラムでシリコンバレーへ行けることになった!
また一歩進展、新しい世界が広がる。

 

そしてその日は突如、やってきた。

9月に見つけた料理教室の物件、まだ急いでおさえなくてもいいかな、とのんびり構えていたら・・・

急にこの2週間で、他の人の内覧が入った、という情報が不動産の方から入る。

 

 

他の人に取られるなんて絶対嫌だ!!!!

 

そこからの私の行動は早かった。

不動産さんに即電話。
翌日、内見させてもらう。

うん、やっぱりここしかない、と確信する。

 

そして、その日の夜にまた不動産に電話する。

「今日見学させてもらった物件ですが、すぐ申し込みます!!!!」

1日で即決。というか、即決しないといけない流れになってしまった。

 

と同時に、私の中に一気に恐怖がやってくる。

これから資金、どうするの!?と。
当たり前の話だが、場所を持つということは固定費が毎月かかるということだ。

怖い。怖すぎる。
いけるのか、私!?

でも・・・・心の奥底ではとっくに気づいていた。

やる!!!と決めている私に。
私にはできる!!!!と確信している私に。

 

 

その後、ノマドの聖地・タイのチェンマイに行く。
そんなチェンマイの地で、震えながら物件の申込書を書いた。

途中間違えて、印鑑もうまく押せなくて、ホテルのロビーに行って再印刷してもらう。
結局5枚くらい書き直し、不動産屋さんへ送信をした。

 

2024年11月

 

もうこれ絶対にいける、ってわかっていたけれど、結局、スムーズに審査も通ってしまった。

こうして、私は年明けからお店を持つことになった。

 

これは心で望んでいたことだ。結局やるなら今しかないのだ。

 

そしてシリコンバレー海外派遣にも1週間。

 

 

世界最先端の事業家・企業家が集まるシリコンバレー。
ここではビジネスに取り組む姿勢とこれから私にとって必要な課題に大いに気付かされる時間となった。

2024年、行けてよかった旅No.1!

本当にJETROの方や、ご一緒した皆様に感謝している。

 

そしてもう1つ。
私の右腕となるチームメンバーの方との出会い。

このこころキッチンの事業は、とてもではないが1人でなんとかできるレベルのものではない。

強力なチームメンバーが必要だ。
そう本気で描いた時、なんとたった3日で必要なご縁を私は引き寄せた。

 

物件といい、チームメンバーといい、時々、私は神がかった引き寄せを起こす。

 

2024年12月

 

そして・・・ようやく今。
ここまで長々とお読み頂いた皆様、本当にありがとうございます。

 

この12月は、

内装工事のため、工務店の方(なんと講座生の方のお父様をご紹介いただいた)から見積もりを取ったり
税理士の方に資金面の相談をしたり、
料理教室運営やレシピ作りをお頼みする方との調整をしたり、

色々水面下で動いている。

 

5年間料理教室運営をしていたとはいえ、今回は規模も違うし、飲食提供も行う。

わからないこともたくさん、不安もいっぱい。
どう考えても、やることがたくさんありすぎる。

時々、泣きそうにもなる。いや、実際泣いている。
でも1つ1つ確認しながらやっていけば、きっと大丈夫、と信じている。

来年は大きくまた色々なことが変わる気がしている。

 

 

長くなったが、ここまでが2024年末までのストーリー。

 

2024年初めまで、商品さえもなかった。
料理教室をまたやるなんて、1mmも思ってもいなかった。

優雅なんてとてもいえない、
とにかくトライアンドエラー、私の人生はただただ地道しかない。

 

でもただただ、その時にピンときた感覚を大切に
小さな行動を積み重ねていくと

人生は思ってもいない方向へと開けていく。

 

そしてようやくまた戻ってきた、私の魂の道。

 

自分でも、なんでこんなに
大変な道をいくんだろうと思う。

 

でも心がワクワクしてるんだからしょうがない。

人生一度きりだ。
どうせならとことん、やってやろうじゃないか。

 

If you can dream it, you can do it.

 

これからも私の挑戦は続きます。
こんなにも長いブログを、読んでくださり本当にありがとうございます!

引き続き、応援の程どうぞよろしくお願いいたします。

 

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